すべての人々の未来の為に。今を生きる。【合同会社ワークス】
【インタビュアー】特定社会保険労務士 杉山晃浩事務所 市村 芳
やれる努力は全てした。その中で確立した行動理念。
卒業後も宮崎に残りたいという思いもあり、専門学校の教科で「保育」を選択したのですが、保育園勤務時代は仕事もプライベートも色んな出来事が重なり、心と体がすり減っていてギリギリの状態でした。
なおかつ保育業界は世間的にも収入がそこそこと言われているじゃないですか。業務の大変さに見合っていないだろうという不満もあったんだと思います。
それなら自分でやろう、と思い立ち、当時勤めていた保育園を辞めました。もともと高校3年生のころからダンスを始めて、保育園勤務時代も続けており、ダンスの講師もしていました。退職日の翌日からダンスの講師として自分を売り込むために、保育園に飛び込み営業をしたんです。3日間で30件ほど。ほぼ跳ね返されて門前払いもたくさん経験しました。話を聞いてくれるところには嬉しくて、話し過ぎて大失敗。通帳の数字が0円に近づいていく恐怖。あのころは本当に生きるか死ぬかのところでやっていました。
飛び込み営業はうまくいかなかったのですが、大塚の公民館でダンス教室をやってみようと思い立ち、ポスティングやフェイスブックで募集をかけてみたら、30人くらい集まったんです。ポスティングは5000枚くらい一人で配ったかな。
その後、いろいろなご縁があり清武のスーパーマーケットや木花の複合施設で各レッスン100人くらい集まるようになって。少しずつ軌道にのっていきました。
あの当時、やれる努力は全部したと言い切れます!やる前に理屈で考えるのではなくて、例えば、ポスティングも意味があるかどうか考える前に、やってみて考えよう。その大変さ、その意味は、やってみないと分からない。
自分がまず行動しないと、人は行動しない。
そんな姿勢がワークスという会社の行動理念のスタンダードとして、今後スタッフにも浸透していくといいなと思っています。
なおかつ保育業界は世間的にも収入がそこそこと言われているじゃないですか。業務の大変さに見合っていないだろうという不満もあったんだと思います。
それなら自分でやろう、と思い立ち、当時勤めていた保育園を辞めました。もともと高校3年生のころからダンスを始めて、保育園勤務時代も続けており、ダンスの講師もしていました。退職日の翌日からダンスの講師として自分を売り込むために、保育園に飛び込み営業をしたんです。3日間で30件ほど。ほぼ跳ね返されて門前払いもたくさん経験しました。話を聞いてくれるところには嬉しくて、話し過ぎて大失敗。通帳の数字が0円に近づいていく恐怖。あのころは本当に生きるか死ぬかのところでやっていました。
飛び込み営業はうまくいかなかったのですが、大塚の公民館でダンス教室をやってみようと思い立ち、ポスティングやフェイスブックで募集をかけてみたら、30人くらい集まったんです。ポスティングは5000枚くらい一人で配ったかな。
その後、いろいろなご縁があり清武のスーパーマーケットや木花の複合施設で各レッスン100人くらい集まるようになって。少しずつ軌道にのっていきました。
あの当時、やれる努力は全部したと言い切れます!やる前に理屈で考えるのではなくて、例えば、ポスティングも意味があるかどうか考える前に、やってみて考えよう。その大変さ、その意味は、やってみないと分からない。
自分がまず行動しないと、人は行動しない。
そんな姿勢がワークスという会社の行動理念のスタンダードとして、今後スタッフにも浸透していくといいなと思っています。
事業の立ち上げ時に全てに躓いた。それでもあきらめずに前に進んだ。
職員の結婚式で、社長自ら余興を披露
福祉に「風」を起こしたい!という思い、まだまだよくなる、俺ならやれる!という根拠のない自信が自分を突き動かしていました。
もちろん現実はそんなに甘くはなく、壁が常に立ちはだかる状況です。
実は会社を立ち上げる時に、「場所」、「お金」、「人」とすべてに躓いたんです。「底」を見ました。今思い返してもよく諦めなかったなと思います。壁が立ちはだかるたびに、踏ん張りました。そうすると、知人が助けてくれたり、ありがたいご縁があったり。
「ダンス」と「福祉」の二足のわらじは正直きつかったです。それでも、ダンスだけしていても、福祉だけしていても、長くは続かなかったと思っています。
当時、22時までダンスのレッスンをして、そのあと、福祉の書類を作っていました。それでも終わらないときは、朝誰よりも早く出勤して続きを作成し、少しだけ考えごとをする。そんな生活が1~2年続きました。
今では「また教室増やすの??やり手だね~」なんて言ってくれる人もいるけど、実際泥臭いこともいっぱいやっていました!
諦めずに前に進む中で、自分にしかできないこと、HAPPY WORKSにしかできないことも見えてきました。今後も壁にぶち当たることがあったとしても、立ち上がり、乗り越えます。時には常識すら打破し、新たな形をクリエイトできればと思います。
もちろん現実はそんなに甘くはなく、壁が常に立ちはだかる状況です。
実は会社を立ち上げる時に、「場所」、「お金」、「人」とすべてに躓いたんです。「底」を見ました。今思い返してもよく諦めなかったなと思います。壁が立ちはだかるたびに、踏ん張りました。そうすると、知人が助けてくれたり、ありがたいご縁があったり。
「ダンス」と「福祉」の二足のわらじは正直きつかったです。それでも、ダンスだけしていても、福祉だけしていても、長くは続かなかったと思っています。
当時、22時までダンスのレッスンをして、そのあと、福祉の書類を作っていました。それでも終わらないときは、朝誰よりも早く出勤して続きを作成し、少しだけ考えごとをする。そんな生活が1~2年続きました。
今では「また教室増やすの??やり手だね~」なんて言ってくれる人もいるけど、実際泥臭いこともいっぱいやっていました!
諦めずに前に進む中で、自分にしかできないこと、HAPPY WORKSにしかできないことも見えてきました。今後も壁にぶち当たることがあったとしても、立ち上がり、乗り越えます。時には常識すら打破し、新たな形をクリエイトできればと思います。
まるで1ミリのにごりもない空間。奇跡を目の当たりにできる場所。
福祉の利用者様とえれこっちゃ宮崎に出場しました。
子供たちが踊った時に、会場の空気が変わり、「踊っている側」も「観客」も「自分たち」も、自然のバリケードを超えて会場全体が一つになっていくのが分かりました。自然に涙と笑顔がこぼれてくる空間を今でも鮮明に思い出します。
それは、自分が何十年に一回のベストな踊りをしても適わないくらいのダンスでした。
この子達のダンスはここまで力があるんだって感動して、きっと、心に1ミリのにごりもないのだろうなと思いました。ダンスを踊っている側の心の状態が見ている側に伝染して、会場にいるすべての人の心からにごりが一切なくなる。
そんな奇跡の世界に引き込まれた感じでした。
作ろうと思ってできるものではなくて、イベントというよりも、彼らのダンスが成功したという感覚のほうが正しいと思います。
また、たまに、子供の前に立った瞬間に子供の目の色を変えることができる人がいるんです。オーラとかではなくて、子供たちに対してそもそも愛しかないという姿勢を持っているのでしょうね。自分もそういうタイプの人間だと思っています。
これまでも、他の施設ではだめだったが、HAPPY WORKSでは大丈夫なお子様とか、男の人はダメだと言われていましたが、自分やある男性スタッフにはハイタッチして帰っていけるお子様もいて、そんな嬉しい場面に出会えることもあるんです。
奇跡の瞬間に立ち会えるこの仕事を誇りに思います。
子供たちが踊った時に、会場の空気が変わり、「踊っている側」も「観客」も「自分たち」も、自然のバリケードを超えて会場全体が一つになっていくのが分かりました。自然に涙と笑顔がこぼれてくる空間を今でも鮮明に思い出します。
それは、自分が何十年に一回のベストな踊りをしても適わないくらいのダンスでした。
この子達のダンスはここまで力があるんだって感動して、きっと、心に1ミリのにごりもないのだろうなと思いました。ダンスを踊っている側の心の状態が見ている側に伝染して、会場にいるすべての人の心からにごりが一切なくなる。
そんな奇跡の世界に引き込まれた感じでした。
作ろうと思ってできるものではなくて、イベントというよりも、彼らのダンスが成功したという感覚のほうが正しいと思います。
また、たまに、子供の前に立った瞬間に子供の目の色を変えることができる人がいるんです。オーラとかではなくて、子供たちに対してそもそも愛しかないという姿勢を持っているのでしょうね。自分もそういうタイプの人間だと思っています。
これまでも、他の施設ではだめだったが、HAPPY WORKSでは大丈夫なお子様とか、男の人はダメだと言われていましたが、自分やある男性スタッフにはハイタッチして帰っていけるお子様もいて、そんな嬉しい場面に出会えることもあるんです。
奇跡の瞬間に立ち会えるこの仕事を誇りに思います。
会社情報
会社名略称. | 合同会社ワークス |
---|---|
会社名 | 合同会社ワークス |
理念・使命 | 私たちは皆の幸せ(=HAPPY)を願い、信じ、行動していきます。 子どもたちにとっては、うきうきする場所である為に、 保護者の皆様にとっては、信頼ある満足いく場所である為に、 働く人にとっては、働きやすく楽しい場所である為に、 HAPPY WORKSは、常に温かい心で向かい、貢献していきます。 理念である、”すべての人々の未来の為に。今を生きる。”の下に。 |
会社名 | 宮崎県宮崎市清武町新町2丁目1-1 |
代表者名 | 代表社員 鈴木 太士 |
最寄駅 | 清武駅、宮崎駅 |
失敗談・成功談 | 失敗談 本当に誰よりも失敗をしてきたと思います。 ただ私は人生の中での多くの失敗を成功への道しるべに変えていきます。 会社を経営する上で、何が大切か。 どうすれば改善・改良を行えるか。 そのようなことを考える上でまずは自分がどうあるべきか。どう変わるべきか。 そんな自問自答の毎日を乗り越えてきました。 今後も自分の心を動かし、川の流れのように代表として生きていきたいと思います。 成功談 私たちが関わる利用者様、そしてご家族の皆様には想像をはるかに超える思いを抱えて生きてらっしゃいます。私たちの仕事はそんな方々の「助け」「支え」になれます。 もちろん簡単な仕事ではありません。だからこそ、そこにはロマンがあります。 希望や奇跡を感じることもあります。 一人の人間として、関わることで、私自身が「生きる」意味を強く感じ、その喜びをプレゼントしてもらいました。 |
3年後ー5年後の目標 | 宮崎市を中心に拡大をしていきたいと考えています。 会社の土台を太いものにすると同時に、若く志のある方たちが、夢と目標をもって仕事に向き合える流れを生みたいと思います。 そして、我が社のスタイルが新たな風となるよう突き進みます。 ワークスという木があるとしたら・・・ その木は太くなり、そして多くの葉が緑に茂り、花が咲き乱れる。 そして素敵な“志”や“夢”のような温かい実が常に実る。 そんな木(ワークス)を育てていきます。 |
新規事業・チャレンジしたいこと | 社会の、人の、助けや支えとなる仕事をどこまでも広げていきたいと考えています。 仲間が増えれば、その分、可能性とともに未来が広がると信じています。 仲間の想いに応え、そして託し、進んでいく。 常に仲間の考えや力を活かしていければ、それが一人ひとりの幸せに繋がるでしょう。 さらに笑顔や幸せを多く生むことのできるスタイルも確立できればと考えています。 心を大きく広げて、仲間と新しい“何か”に挑戦していきたいと願っています。 |
こんな人に会いたい | 人として、どのような人生を歩み、出会ってくれたのか、そこをしっかりと感じたいと思います。 心、体、頭を駆使して働いてもらいたい。会社に対して建設的な姿勢を崩さずに働き、共に歩み、会社を作り上げてもらいたい。そう願っています。 創業して5年、いまだに未熟な部分もあると思います。 ただ、そこをともに乗り越えて、みんなで作り上げてくれる会社は、一人ひとりの想像をはるかに超える力を持つはずです。 “人”のために働けるか。 “会社”を共に作り上げてくれるか。 そんな思いのある皆様との出会いを楽しみにしています。 |
組織図・組織構成 | 代表、統括責任者2名、児童発達支援管理責任者・保育士・児童指導員・総務・経理などで構成されています。 |
事業内容 | 放課後等デイサービス・児童発達支援HAPPY WORKS の運営 |
応募の流れ | 当社にご興味のある方は、直接ご連絡ください。 合同会社ワークス TEL:0985-69-1778 |
採用定着士の事務所名 | 特定社会保険労務士 杉山晃浩事務所 |
採用定着士の氏名 | 市村 芳 |
取材者情報
今回の社長へのインタビュアーのご紹介です。
「話を聞きたい!」からお問い合わせを頂いた場合は運営会社の株式会社イイネ人材サービスを通して、各インタビュアー者よりご連絡させて頂きます。
事務所名 | 【インタビュアー】特定社会保険労務士 杉山晃浩事務所 市村 芳 |
---|---|
住所 | 宮崎県宮崎市佐土原町下田島20034番地 |
事務所HP | https://office-sugiyama.jp/ |
企業のセールスポイント | クライアントの明るい未来の実現を、人軸(ひとじく)からコミットしています。 |
大切にしている考え方 | 立ち止まらずに、ポジティブに第一歩を踏み出しましょう。 |
事務所からのメッセージ | 利益が出ているのなら、税金を払うよりも、未来への人材投資(採用・教育)に使いましょう。利益が出ていないのであれば、利益を出してくれるコア人材を採用しましょう。 |
従業員数 | 16名 |
保有資格 | 特定社会保険労務士、行政書士など多数 |